必ず思うこと
2001年1月9日某テレビ番組で、女性歌手に共感する高校生達の話をしていた。
彼女らは口をそろえて「みんなと同じことをするのが嫌い」という。
「一列に並ばされるのが嫌だ」という。
「クラスで居場所がなくて、そのうち学校にも行かなくなった」という。
私はまだそんな風に自分の存在について悩んだことはない。
学校には友達もいたし、親も私をよく理解してくれるから。
だから、言ってしまうと私には居場所がないときの孤独感はあまりなかった。
でも、彼女らについて感じたことは、
自由の意味を履き違えているということ。
一列に並ぶのが嫌ならどうやって体育館の朝会をするのか。
みんなと同じ事が嫌ならどうやって学校行事を成り立たせるのか。
制服は個性がないというけど、外見だけで個性は決められない。
学校や、社会の中で生きるには、最低限守らなければならないルールが存在する。
校則は生徒を縛るためにあるのではなく(くだらないものもあるが)そういった生活を円滑に進めるものであって、どこにいっても規則は存在するから。
だから一列に並ぶことや同じ事をすることに疑問を感じるということは、人はどうして歩くのかという疑問をもつのと同じことだ。
友達づきあいで悩んで不登校になるのはわかるけど、基本的なことで悩んでしまうのは、現代の理屈を求める風潮がそうさせているのかもしれない。
と、主張を聞くたびに思うこと。
彼女らは口をそろえて「みんなと同じことをするのが嫌い」という。
「一列に並ばされるのが嫌だ」という。
「クラスで居場所がなくて、そのうち学校にも行かなくなった」という。
私はまだそんな風に自分の存在について悩んだことはない。
学校には友達もいたし、親も私をよく理解してくれるから。
だから、言ってしまうと私には居場所がないときの孤独感はあまりなかった。
でも、彼女らについて感じたことは、
自由の意味を履き違えているということ。
一列に並ぶのが嫌ならどうやって体育館の朝会をするのか。
みんなと同じ事が嫌ならどうやって学校行事を成り立たせるのか。
制服は個性がないというけど、外見だけで個性は決められない。
学校や、社会の中で生きるには、最低限守らなければならないルールが存在する。
校則は生徒を縛るためにあるのではなく(くだらないものもあるが)そういった生活を円滑に進めるものであって、どこにいっても規則は存在するから。
だから一列に並ぶことや同じ事をすることに疑問を感じるということは、人はどうして歩くのかという疑問をもつのと同じことだ。
友達づきあいで悩んで不登校になるのはわかるけど、基本的なことで悩んでしまうのは、現代の理屈を求める風潮がそうさせているのかもしれない。
と、主張を聞くたびに思うこと。
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